白滝山 因島重井町
因島重井町にそびえる白滝山。因島八景のひとつで、布刈瀬戸、山伏瀬戸が一望出来る好景観スポットです。
ふもとにフラワーセンター、ペンション白滝山荘(元々は西洋館と呼ばれていました。)もあり、桜の季節は壮観のひとことです。
ルートは地元釣り場案内 重井東港ガイドを参考にして下さい。
正面に見えるのがフラワーセンターです。白滝山に行くには、写真の交差点を左折です。 | |
フラワーセンター入り口です。駐車場も完備しています。季節の花々が庭園内を装飾しています。 | |
白滝山に行くには、この道を右折です。ロータリーに到着したら、右側に行ってください。 |
頂上には五百羅漢と呼ばれるお地蔵様が奉られています。五百羅漢なのに、なぜか約700体あるそうです。
このお地蔵様は、その昔、重井村の賢人「柏原伝六」師が、弟子たちと一緒に作ったといわれています(重井町のお菓子屋さんには、今でも伝六さんというお菓子があります)。
この五百羅漢。なかに必ず自分とそっくりなお地蔵様がおるんじゃそうです。
本因坊秀策碑 因島外浦町石切神社
碁聖「本因坊秀策」を奉った神社です。因島外浦(とのうら)町にあります。観光客用駐車場、トイレも完備してあります。
ルートは地元釣り場案内 外浦港ガイドを参考にしてください。
本因坊秀策(幼名:桑原虎次郎)は、1829年に、ここ因島外浦町に生を受けました。幼い頃は泣いていても、碁石を渡せば泣き止んだそうです。
6歳のころには近隣では相手がいないくらいの腕前になっており、神童と言われていました。
その後、三原城主の保護と援助を受け、江戸に囲碁留学。名門本因坊に入門しました。
18歳のときに名手井上幻庵8段と対局。本因坊秀策の名を世に知らしめた「耳赤の一手」のエピソードは有名です。
その後、お城碁(将軍の御前で行われる名手限定の囲碁大会)が廃止されるまでの12年間、勝利を収め続けました。19連勝は、前人未到の大記録です。
幕末の政情不安がなければ、この記録は更にすごい数字になっていたかもしれません。
この頃江戸では、コレラが流行していました。本因坊家の人々も例外ではありませんでした。
秀策は、周囲が止めるのも聞かず、門下の人々を不眠不休で看護し続けました。
秀策の手厚い看護の甲斐もあり、本因坊家からは一人しか死者が出なかったそうです。
一人の病死者。それは、看護中にコレラに感染しながらも人々を看護し続けた秀策本人だったのです。享年34歳。あまりに若すぎる死でした。
秀策は、その腕前と人柄から、後に「碁聖」と言われるようになりました。旧因島市、現尾道市で名誉市民に選出されています。
大浜崎灯台 因島大浜町
難所、布刈瀬戸を航行する船の安全を守り続けた大浜崎灯台。現役を退いてはいますが、今でも布刈瀬戸を見守り続けています。
ルートは地元釣り場案内 大浜崎灯台ガイドを参考にして下さい。
ここ大浜崎灯台のすぐそばは、因島八景のひとつです。
大浜崎灯台資料館は、日本で唯一現存する木造の灯台資料館です。文化財にも指定されています。
近くに験潮所などもあり、歩いて見学することが出来ます。
近くには大浜記念公園、野外コンサート場。キャンプ場や遊歩道などがあり、シーズンになれば、人々が訪れます。
夏には海水浴客も訪れますが、最近では近くのアメニティプール前のしまなみビーチに行く人が多いです。
どちらかといえば、釣り人に人気のある場所だったりします。
地蔵鼻 因島三庄町
女性が安産祈願、恋愛成就の祈願に訪れる場所です。
近くに、村上水軍の砦跡の「美可崎城跡」、38番目の札所「金剛福寺」があります。
観光客用の駐車場や、トイレもあります。
ルートと観光の詳細は地元釣り場案内 地蔵鼻ガイドをご覧下さい。